生きるということ

突き抜けるような青空が拡がる日。

僕が育った瀬戸内は空がいつも綺麗で、関東ではなかなか見ることが出来ない、とても大好きな青空。いつも笑顔が絶えない彼女とサヨナラするにはお似合いの日である。


そんな日に彼女は天に召していった。

29歳の若さ、3歳の娘を残して永遠の別れをしなけらばならないどんなに無念だったか、今僕自身も父親となりその気持ちを考えるだけで胸が張り裂けそうになる。


駅から葬儀場に向かうバスの中で空を見ながら、いつか誰しも別れがくる、また会えるさと思い、何故かとても気軽な心気持ちだった。寂しさや悲しさを無意識に遠ざけていたのかも知れないけど。


葬儀場に到着し、棺へ案内された。彼女と対面し、少し開いた口元はこの世への未練を伝えているようで涙が止まらなくなった。彼女が何をしたというのか、こんな非情な運命があるか、どこにもぶつける事も出来ない怒りと虚しさを無念さを強く感じた。残されたご家族の心中を察するには余りある現実を受け止める事が出来なかった。


冷たく硬い彼女、何度も頬と頬を擦り合わせた。棺から離れてはまた戻り、頬と頬を擦り合わせる。何度繰り返しただろうか。友人の妻に何をやってるんだと思うけど、一人寂しく棺の中でこの世から去っていく彼女をひとりにするのは可哀想で、その時に自分が出来ることがただそれだけだった。とになく何かしてあげたかった。

若い人の死は本当に無惨である。誰も亡くならないで欲しいと思う。


明日を迎えたくても迎えられない方がいる。明日を迎えられることは奇跡だと教えてくれた。一分一秒無駄にしてはいけない、生かされていることに感謝し、生きることを儚くも絶たれてしまった方々への想いに報いなければならない。


この春で7年が経ち、残された友人は再婚して、幸せな家庭を構築しつつある。

人間万事塞翁が馬。一方で、絶望しかない状況からも新しい幸せや未来があることを教えてくれる。


社会全体が疲弊し、人生においても辛いことが多い今。生きているだけで丸儲け、好転するタイミングが必ず来る。この真理を皆で信じていきたいと思う。

そして社会に対しての己の役割を問い直し、全うしていきたい。