大切な人との永遠の別れをどのように迎えるのか

昨年5月7日、義理の父が亡くなった。

末期の膵臓癌で、2019年の春に発覚してから約1年。抗癌剤治療を行っていたが、根治することは極めて難しく、どれだけ延命するかという状況だった。

義父は自分の父には無い優しさ、ユーモア、素敵な笑顔を持ち合わせていて、周りを一気に和ませる力がある。最初に挨拶した時から大好きだ。帰省するといつも、僕の好きなお酒や食事をしれっと用意してくれて、可愛がってくれた。

最後に妻と子どもたちと一緒に過ごしてもらいたいと思い緊急自体宣言の最中、4月初旬から少し長めの帰省を決めた。

食事も取れず、痩せこけて、歩くのもやっとな状態だったけど、娘と孫たちに囲まれ少しは癒されたのでは無いかと思う。

 

4月25日、東京に戻る日。間違いなくその日が最後の会話になる、後悔しないお別れをしようと思い一晩中考えた。

「お父さんに出会えて良かったです。ありがとう。何も心配しないでください。」

感謝とお別れの言葉をしっかり伝えた。

義父の手を強く握り締め、しっかりと目をみて、これだけ伝えた。涙は流さないようにと気を付けたが、全然無理でボロボロ泣いてしまった。やはり、お別れは辛い。

「潤ちゃん、ありがと。潤ちゃんはこれからが本番だ、頑張って。俺は好き放題生きてきて良かった、でも、あと10年は生きたかった。」

苦しそうな表情が一瞬溶け、穏やかないつもの優しい笑顔で返してくれた。義父が僕の言葉をどう捉えたのかはわからない。しかし、僕の想いを汲み取り、僕に伝えたいことを最期に発してくれたと信じている。

 

そして5月、訃報を聞いた時、不思議と涙は全く出なかった。最後にしっかり自分の気持ちを伝えてお別れ出来たから。もう会うことは叶わないけど、義父との思い出は一生心にあり続ける。

死は必然。生ある全てに、必ずお別れの時が来る。その瞬間を受け入れるためには何が必要か。

出会えた事への感謝、お世話になったお礼等、お別れの言葉をきちんと伝える事だと僕は理解した。

今まで、祖母、曽祖母、祖父、叔祖父、友人と身近な人とお別れをしてきたけど、いつも直接掛けた最後の言葉が「頑張ってね」「元気になってね」「また来るからね」と体のいい声掛けだったと記憶している。

面と向かって感謝の気持ちを伝えずにお別れをしていない。やっぱり、今でも心残りがある。

 

大切な人のお別れ、悲しい現実を受け入れることはとても難しい。

しかし、残されたものはその死に向き合い、未来を生きていかなければならない。故人もそれを願っている。

最期の別れの瞬間はやり直すことが出来ない。どのようにすれば自分自身が納得できる別れになるのか。正解は無いがとても大切なテーマだと思う。

 

小春日和の中、近所の公園に子どもと遊びにいき、躍動する姿を見ながら命の繋がりを実感する。義父は鬼籍に入ったが、その命は繋がり今目の前で輝きを放っている。

良春というあなたの名前が似合う、春めいた空に想いを馳せる。ありがとうございます。

生きるということ

突き抜けるような青空が拡がる日。

僕が育った瀬戸内は空がいつも綺麗で、関東ではなかなか見ることが出来ない、とても大好きな青空。いつも笑顔が絶えない彼女とサヨナラするにはお似合いの日である。


そんな日に彼女は天に召していった。

29歳の若さ、3歳の娘を残して永遠の別れをしなけらばならないどんなに無念だったか、今僕自身も父親となりその気持ちを考えるだけで胸が張り裂けそうになる。


駅から葬儀場に向かうバスの中で空を見ながら、いつか誰しも別れがくる、また会えるさと思い、何故かとても気軽な心気持ちだった。寂しさや悲しさを無意識に遠ざけていたのかも知れないけど。


葬儀場に到着し、棺へ案内された。彼女と対面し、少し開いた口元はこの世への未練を伝えているようで涙が止まらなくなった。彼女が何をしたというのか、こんな非情な運命があるか、どこにもぶつける事も出来ない怒りと虚しさを無念さを強く感じた。残されたご家族の心中を察するには余りある現実を受け止める事が出来なかった。


冷たく硬い彼女、何度も頬と頬を擦り合わせた。棺から離れてはまた戻り、頬と頬を擦り合わせる。何度繰り返しただろうか。友人の妻に何をやってるんだと思うけど、一人寂しく棺の中でこの世から去っていく彼女をひとりにするのは可哀想で、その時に自分が出来ることがただそれだけだった。とになく何かしてあげたかった。

若い人の死は本当に無惨である。誰も亡くならないで欲しいと思う。


明日を迎えたくても迎えられない方がいる。明日を迎えられることは奇跡だと教えてくれた。一分一秒無駄にしてはいけない、生かされていることに感謝し、生きることを儚くも絶たれてしまった方々への想いに報いなければならない。


この春で7年が経ち、残された友人は再婚して、幸せな家庭を構築しつつある。

人間万事塞翁が馬。一方で、絶望しかない状況からも新しい幸せや未来があることを教えてくれる。


社会全体が疲弊し、人生においても辛いことが多い今。生きているだけで丸儲け、好転するタイミングが必ず来る。この真理を皆で信じていきたいと思う。

そして社会に対しての己の役割を問い直し、全うしていきたい。